今回お話を伺ったのは、商学部3年生のJodee Chiaさん(以下ジョディさん)。

高校生までを母国であるマレーシアで過ごしたのち、単身で一橋大学に進学。なんと5つの 言語を話せるそう。インタビュー中も常に笑顔で温厚な印象のジョディさんですが、大学か らボクシングを始めるなどチャレンジ精神も旺盛な方でした。

取材では、国際経験の豊富なジョディさんが日本への大学進学を決めた経緯とそういう視点を持つか らこそ見える世界と日本の文化の違いに迫りました。

今回は前編、中編、後編に分けてお届けします。この記事は前編、ジョディさんのこれまでの人生について伺いました。

目次

1.日本に来たのは日本語がしゃべれなかったから

2.日本でもつづけた挑戦


1.日本に来たのは日本語がしゃべれなかったから

多民族国家のマレーシアで中華系のルーツを持つ両親のもとに生まれたジョディさん。

最初に身に着けた言語は中国語と広東語だったそうで、小学校も中国語を扱う学校だったと のこと。しかし、中学高校は英語、マレー語を扱う学校に進学したことや、普段の生活で中華系以外の人と話す際は英語やマレー語を使っていたことで、高校卒業時には上述の4か国語を身に着けたそうです。

―そのような生い立ちの中で、なぜ日本に留学することを決めたのでしょうか?

「マレーシアより経済の強い国で商学について勉強したかったので、イギリス、シンガポー ル、香港、日本という選択肢がありました。その中で話せない言語を話している国は日本だけだったので、もともと日本に興味があったこともあって、日本への留学を決めました。一 橋大学にしたのは商学部が有名だったからです。」

話せないから留学に行けない、話せるようになってから留学に行く、といった考えではなく、 話せないから留学に行く、という行動にジョディさんのチャレンジ精神が表れていました。

2.日本でもつづけた挑戦

ジョディさんの人柄は日本に来てからの活動にも見て取れます。

今まで未経験だったボクシングに興味を持ち、ボクシング部に加入しました。今も競技ライ センス獲得を目指して活動しています。

小平寮のRA(Resident Assistant)も務めており、共有部屋に必要な備品を買うためのお金の管理や、寮内でのイベント計画をされています。

ま た、今年の春休みには学校のプログラムでスペインの研修に行くなど異文化交流も積極的に行われています。

興味を持ったことに積極的に取り掛かるジョディさんの人柄が豊かな国際経験を作る一因 になっていると思います。


次回、中編ではジョディさんが留学前後で日本に持った印象の変化について良かったこと や苦労したことまで伺っていこうと思います。

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