今回お話を伺ったのは、一橋大学商学部の円谷昭一先生です。

実は筆者が大学1年の時に、導入ゼミでお世話になったのが円谷先生でした。

学生時代も一橋大学で過ごされた円谷先生ですが、実は留年経験者?

また、同じく一橋大学商学部のある先生との意外な繋がりも?

この記事では、そんな円谷先生の過去、現在の研究内容、また学生に向けたアドバイスについて紹介していきます。

前編では、円谷教授の大学と大学院進学までについて紹介します。

一橋大学進学

Q.まず、一橋大学に進学した理由を教えてください。

「高校時代に数学ができたので、数学のウエイトが高い一橋にしました。あまり深いことは考えてないです。」

Q.将来の夢とかは…

「考えてないよ〜笑 入りやすいところだよ笑入れるところで。」

「 その(高校の)頃はすごく勉強してたから、(高校時代の模試で)一橋受験者の順位とかで全国1位とかあるよ。入試の後も確実に受かったと思ってたよ笑」

「(でも)大学入って、そこから急降下。で、留年したからね。2年生を2回やってるから。だから大学っておそろしいところだよな。一生懸命頑張った高校生をダメにするもんね。とつくづく思う笑」

印象に残っている授業について伺ったところ、「学者タイプ」の先生の授業が印象に残っているそうです。


Q.  印象に残っている授業について教えてください。

「大学の先生って2つのタイプがいて、1つは学者っていうタイプ。学者はもう真理の探究とか未知なるものを明らかにしたいとか、それを人生の目的にして、給料とかいらん、極貧でもいいからやりたいっていうのが学者タイプ。で、僕は今仕事として研究をやってる。そういうのを研究者というんだよ。似て非なるものなんですよ学者と研究者って。研究者は研究テーマ与えられてこれに向けてデータ集めて…ってやる。学者みたいな人が、昔は一橋にまだいっぱいいたんですよ。なのでそういう人たちの授業って聞いてて眠くなることもあるんだけどもおもろいんですよ笑  例えば「愛は…貸借対照表に計上できるかい?」とか、もうわかんないの笑 でも大学でもグローバル化が進んで、ちゃんと論文を年何本書いて、どんどん国際的に評価されてっていう人を先生にしましょう、ってなったから、職業研究者が多いんですよ、今は。だから真理の探究よりも研究のメソドロジー とかが授業中にやる内容になってきたので、学者の先生がやっていたある意味で禅問答のような授業は印象に残ってる。」

次は円谷教授が学生時代に熱中していたハンドボール部のこと、そして3・4年生でのゼミについて伺いました。実はこのハンドボール部で、ある先生との繋がりが?ゼミに入れたのもその先生のおかげ??詳しく見てみましょう。

「部活ですね。で、ハンド部の先輩に加賀谷先生がいたの。いま商学部にいるんだけど。当時、加賀谷先生がここの大学院生で残ってたの。ハンド部のOBとしてよく来てて、加賀谷先生に、当時は加賀谷さんなんだけども、「加賀谷さん、どっかゼミ入れてください、僕留年してるんでどこも入れないんですよ。どこ行っても絶対入れないんで...」って言ったら「僕の先生のところでもいい?」「あ、いいです」「伊藤邦雄っていうんだけどいい?」「どこでもいい、伊藤でも高橋でも鈴木でも入れればどこでもいいんで」って言って伊藤邦雄ゼミに入った。という感じなのでなんの目的観もなく、入りやすいところが一橋だったし、ゼミは伊藤邦雄ゼミしか入れなかった。(先輩に加賀谷先生=加賀谷さんがいたから)」

大学院進学

Q.大学院進学の理由について教えてください。

「4年生の4月頃かなあ、就職活動もして順調にやってた時に先生に呼ばれて「大学院こないか」と、伊藤先生に。で「いきません」と。「どこですかそれ」と。だけど、所詮学生だから、いろいろ「いい人生が待ってるぞ」とか「金持ちになるぞ」とか言うわけよ!でそうするとちょっと気持ちがそっちに揺らぐんだよ。んで「1年行ってだめならまた就職すればいいじゃん。」みたいな。で、それもありかなあってちょっと思い始めるの。で、かつ先生に「君大学院来ないか」と言われるとおれ頭いいのかな?って幻想を抱くわけ、あ、優秀なのかもしれないって。でもゼミ16人いたんだけど、上から声かけていてダメだった15番目が僕だったみたい。で上の人全部断ったの。でもそんな情報隠されてるからさ、1番に声かけられたと思ってやや有頂天になってた。」

上図のように、商学部の大学院は2つのコースがあり、円谷先生が進学されたのは研究者養成コース。円谷先生によると、研究者養成コースに進んだ場合、基本的に民間企業に就職するのは難しくなるそうです。そのため、円谷先生にとっては大学4年で今後の人生を左右する決断をするのは容易ではなかったそうです。

「 今までは先生として対面授業で先生として見ている教壇の上に立っている人に自分がなるわけですよ。5年後に。それは魅力的でもあるけれども不安のほうがでかいよ。で、ふつうはみんな僕は無理ですってやめるんだけども、ぼくは伊藤先生に言われてやや有頂天になっていたところもあるし、僕は当時体育会の幹事長とかやってたから、就職活動とか何の問題もなく大手から平気で内定出てたんだよね。だから自分って力あるんじゃないかって幻想を抱いている。なのでまあ不安も大きかったけれど、最終的にはやってみるかと。大学の先生目指してみるかと。5年間かけてみるかと。」


中編(円谷教授の現在の研究内容)についてはこちらから↓

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永瀬 健翔

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